2011年06月29日
米百俵
栃倉酒造株式会社さんが、作っている”米百俵”の梅酒と、日本酒です。
明治37年創業の蔵元なんです。
米百俵物語
1868年(慶応4年)5月2日、小千谷・慈眼寺。
長岡藩家老 「河井継之助」
東山道軍監 『岩村精一郎』
「諸般の事情から朝命には、応じられない 当藩としては平和的に解決したいと願うとります。しばらく進軍を待ってはくれまいか。藩主の嘆願書にござる。」
『今さら時間かせぎをしても仕方あるまい。ただ、総監府の命に従うのみぞ!』
*ここに会談は決裂、継之助は徹底抗戦を決意。5月4日、奥羽列藩同盟に参加。
5月10日、長岡軍の発砲により戦いの火ぶたが切られた。
世に言う北越戌辰戦争である。この戦いで長岡は灰☀に帰し、城はもちろん城下2947軒の内2608件が消失したという。
この戦いに反対した1人に小林虎三郎がいる。
佐久間象山に学び長州の吉田松陰(寅次郎)と共に象山の二虎といわれた男である。
簡単に説明すると…
昔、長岡藩と総監府の戦いのなかで、明治3年 三根山藩から長岡藩に見舞の米百俵が送られた
使い道について、ほとんどの人が少しずつ分配したら急場は凌げると考える中
小林虎三郎が、将来の子供達藩を担う人たちの為に文武両道に必要な書籍器具を揃え
『明日を生きるための人物を育てねばならないのだ!』
と強い意志のもと
今日の米百俵は、後年1万俵にも百万俵にも…そして計り知れないほどの力に成りえるのだ。
藩の見舞米百俵は、将来の為に使われました。
*目先のことにとらわれず、明日のために行動する
その意志のもと、このお酒が出来ました。
……*……*……*……*
昨今の政治家の方々から、国民の将来についての思いがつたわって来ないのが、
もどかしいと思うのは、私だけなんだろうか?
自分達の立場や、柵ばかりが目立つように感じてしかたないんです。
いま国民が、何が望んでいるのか?選挙でも政治闘争でもなく
将来の希望・展望だと…今はただでさえ震災で先が見えない時なのに…
リーダーである国会がバラバラだと、
国民はどちらの方向に進めば良いのか戸惑いと、不安が一杯になるのでは…
米百俵のように、目先だけでなく今なにをすべきなのか、将来日本が進む道しるべを早く示唆してほしいものですねぇヽ(^。^)ノ
がんばれ!!日本!!
けっぱれ!!政治家!!
偉そうな事、言っちゃった(^^ゞポリポリ
私も、明日の為に頑張らなくっちゃ(^_-)-☆
ツイてる・ツイてる ありがとう感謝(^人^)
Posted by おくに at 08:38│Comments(0)
│ひとりごと